teke teke my life 学習・思索編

teke teke my lifeの分室。主に資格取得や自己啓発、仕事に関する記事です。

仕事関係の人との写真も折をみて撮っとくべきなのかもなーと30代後半になると思う

家の中のものを減らそうと、片付けをしていたところ、昔の職場の写真が出てきました。

昔は「こんな写真いらねーよ!」と思っていた職場の人との写真も、意外と今出てくると「とっとくか…」という気持ちにさせられたりしたので、その気持ちをぼやっと記録しておきます。

当時は別にいらないと思ったけど、今見ると少し感慨深い

正直、20代のころとか、全然職場で撮ったイベント写真欲しくなかったんですよねー。写りたくなかったというか。

自分に自信がなかったわけでもない(写真写りが悪いのは気にしていたけど…)のですが、別にプライベートで仲が良いわけでもない職場の人と一緒の写真なんか邪魔にしかならんやろ、と率直に思ってたんですよね。

職場の人と写真を撮ってその写真が手元にあるもの、基本的に実質強制参加チックなイベントだったりするので、それもまた嫌だったんですよねー。
別に好きで出ているわけでもないイベントの集合写真なんかいらんわ、という。

それがどうしたことか、今見ると少しというか結構感慨深く、そういやこんな人いたなぁ…とか、あんなことあったなぁ…と思い出されたりしまづ。

結局、記憶の薄れが原因

その辺、結局のところ、記憶の薄れが原因なんですよね。

3年とか5年とか10年とか経過すると、毎日会ってた職場の人ですら若干記憶の中であいまいなわけで、ましてや瞬間瞬間でしか絡んでなかったメンバーのことなんか思い出すきっかけがないと思い出さないわけです。

それが、写真を見ると「こんなひといたなー!」というので、ぶわっと記憶がよみがえるわけですわ。

写真を見ると、きれいな記憶だけよみがえりがち

しかも、よみがえる記憶も結構きれいな記憶だったり、楽しかった記憶ばっかりなんですよね。
当時、実際にどう感じていたかは兎も角、少なくとも笑い話程度で済まされる程度に記憶が改変されて、思い出されるわけです。

あーあのときコイツに無茶ぶりされて大変だったなーとか、この顔ムカつくなーとか、それも時が過ぎ去ってしまった後に見れば、案外悪くない思い出ではあります。
時間は結構いろんなものを癒してくれますよね。絶対、良い思い出ばかりではないはずなのですが(笑)

(まあ、写真でも絶対に顔を見たくねぇ!という相手がいないわけでもないのですが、それは結構レアケースですね)

結構二度と会わない人も多いしな

あと、職場の人なんか特にそうなんですけど、所詮仕事上の付き合いなので、マジで二度と会わなかったりするんですよね。連絡先を知らないし、そもそも連絡するほどの関係でもないし。

あんなに仕事上で仲が良かったひととも、機会が適切にセットされないと、会わないもんだなぁというのは実感です。

そうなると、その人との接点を思い出すことはまあ基本的にはないわけです。

まあ、それは会う努力をしていないからという裏返しなのですが、だって人と会うセッティングって大変だしねー。
職場の人とそうまでして会いたいかというと、機会がないと難しいですよね。そして、その機会が来ない相手もままいるわけで。

そして、自分からセットしようかなと思っても、時間が経ってしまうと中々お誘いの言葉が思い浮かびません。気にせずにお誘いするのが正着なのだと思いますけどね。

写真は撮っておこうぜ

記憶からはなんだかんだ消えちゃうし、よほどコミュニティが出来ている状態でなければ職場が変わった後に実際に会うようなこともまずないです。
とすると職場の人たちとの写真というのは、飲み会なりなんなりの都度適宜撮っておいて、自分の相対してきた方々の歴史として再生できるようにしておいた方が、楽しいのかもですね。

自分の記憶は信用ならんし、記憶は美化されるので、思い出すのは楽しいし。歳をとってくると、結局なにか思い出して語るのが楽しいわけですよ。

なので、思い出すためのキーパーツとして、人と映った写真というのは良いアイテムな気がしますね。

(尚、ぼくは子どもとの思い出も「写真やビデオでなく記憶に残せ」派だったのですが、最近その点、宗旨替えし始めていたりします。マジで忘れるもんなー。ビデオカメラは回さなくてもいいけど、スマホ動画ぐらいはちょこちょこ撮っとくといいですわ。)